故郷へ帰ってきました。
帰郷の目的は、私の住んだ町、沖永良部の知名町で、奄美大島地区の生涯学習推進大会が開催されるのに際して、講師の派遣について、相談を受け、森田健作さんをお連れするために同行しての帰郷となりました。
森田健作さんと同行しながら、お話をお伺いしたところ、30年ほど前にお一人で、沖永良部に来た事があるというので、その場所を探して、とりあえず行って見ました。
するとその場所が、まさに森田健作さんが30年前に行った所でした。
そこは、沖永良部でも夏の水泳の出来るリゾート場所として有名な、屋子母海岸(やこもかいがん)というところです。
ちょうど、ご主人と奥様、それに当時幼稚園生だった娘さんが、今度は結婚して、幼稚園生の娘を持つ母としていて、森田さんと当時の情景を思い出しながら、話に夢中になっていました。
不思議なご縁を垣間見て、人の出会いって素晴らしいなぁーーと感じた次第です。
この病院は、徳田虎雄徳洲会理事長が離島医療に力を注いでいて、その一環として建てられたもので。現在ではこの島の中心的な病院となっていて、島民のほとんどがこの病院の利用者です。
私の父も、92歳で寝たきりですが、森田さんが、わざわざ病室までお見舞いに来てくれて、寝たきりの父も、ちょっとだけ頭を持ち上げ、お礼を言ってくれたのが、とってもうれしく思いました。
夜は、私の母校である住吉小学校が、創立110周年を迎え、この日の夜に、校庭に住吉小学校のシンボルともなる、ガジュマルの気にイルミネーションの点灯をするというので、森田さんをお連れしました。
午後6時調度に合わせて、カウントダウをしての点灯に、在校生から保護者・祖父母までの参加者は大喜びでした。
翌日、11月22日が、今回の帰郷の目的である、大島地区生涯学習推進大会です。
この日の、午後1時から、沖永良部最大のホールを擁する、あしびの郷の大ホールで講演会が開催されました。
講演の題目は森田さんの得意とする『家庭力』で、1時間半の講演に、会場には入りきれないほどの方が集い、森田さんの独特の語りに引き込まれ、講演の最後には大きな拍手に感激した、森田健作さんが、ご自信の持ち歌『さらば涙といおう』を、生オケデ一番を歌うと会場の皆さんも一緒に歌い、最高の講演会となりました。
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